日本とオランダ~歴史的関係~
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きわめて重要な日本にとってのオランダという国
日本とオランダ(以下、日蘭)の歴史は、17世紀初めに始まった。江戸時代から明治維新直前の幕末まで続いた鎖国環境の中、ヨーロッパではオランダとだけは長崎を拠点とする外交貿易関係があった。1621年(元和7年)から1847年(弘化4年)までの227年間、日本に来たオランダの船は延べ700隻以上にのぼる、という。幕府はオランダから伝わる「オランダ風説書」によって国際情勢を知り得ていた。また、ヨーロッパの学問や技術は、ほとんどがオランダからの情報によるものだった。日本でいわゆる「蘭学」と呼ぶのはそういった歴史的経緯があったからである。いずれにせよ長い鎖国から明治維新を経た急速な開国に向かって、重要な役割を果たしたのが日本にとってのオランダであった。
第二次大戦では戦争関係へ
江戸時代から明治へと良好な外交関係を続けてきたが、昭和に入ると日蘭関係に暗い影が落ち始める。太平洋戦争開戦後、オランダ政府は日本へ宣戦を布告してしまったからだ。これを受けて両国は戦争状態に入り日本は東インド(当時オランダ領)に進攻を開始した。こうした戦争関係は太平洋戦終了後、平和条約であるサンフランシスコ講和条約が発効されるまで続くことになった。
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文化・経済ともに現在でも活発に交流
現在の文化や経済における交流は非常に活発。双方の国の要人も頻繁に往来している。ことに日本の皇室とオランダ王室は親密なの関係を続け、2006(平成18)年8月、日本の皇太子徳仁親王と同妃雅子・敬宮愛子内親王がオランダを長期で旅行したことでも分かる。
外務省(日本)も日蘭関係については友好・良好なものであることを公式に認めており、「400年に及ぶ歴史的伝統的友好関係を維持し両国の皇室・王室関係は極めて親密である」とまとめている
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